書家、川村驥山が晩年を過ごした篠ノ井の住宅街に建つ「驥山館」は、今も昔も「書」を楽しむ人たちにとって愛すべき大切な場として、地域の方々に親しまれています。そんな「驥山館」の館長を務められているのが、驥山先生の孫であり、書家である川村龍洲先生。たむらとは、「蕎麦朧」が縁で親しくさせていただいています。今回は、「書」に邁進されてきた川村龍洲先生に、「書」と「菓子」の共通点を語っていただきました。
旬彩菓たむらを代表する菓子である蕎麦朧は、長野県産の上質な小麦粉、戸隠産の最上級蕎麦粉、和三盆、カルピスバター等を用い、一つひとつ手作業で丁寧に仕上げた、たむらオリジナルの和菓子です。
昭和37(1962)年に開館した「驥山館」は、地域の方たちとのご縁や寄付で建てられた、おそらく日本で初めての「書家」専門の美術館です。静岡県で生まれた川村驥山が、第2次世界大戦の際に疎開してきたのが篠ノ井。私が知っているのは晩年の頃ですが、背の小さなおじいさんでね。自分の体よりも長い杖をついて、よく近所を散歩していました。お酒が大好きで、みんなから親しまれ、愛される存在だったと思います。
「書」で生きていこうと決めたのは、25歳のことです。仕事を辞めて、驥山館の書道教室「惜陰書塾」で書道を教えながら、自らの「書」を突き詰める日々。書を探究し、自らの内側から情熱を持って生み出していく工程は、苦しくもあり充実していました。教えることも大好きで、これまでに千人以上は教えてきたと思います。教え子たちの子の名付けも100人以上はいるかな。警察署や郵政局などの外部講師もやらせていただき、気付けば縁のある方々が多くなりました。
(2024年1月号掲載)