絵を描くことだけは
ずっと、続けられると思えた。

 目にしたものを捉え、記憶して描くことや、イメージしたものを表現できるようになったのは、両親の影響が大きかったと思います。父や母は私が小さい頃から美術館や音楽会によく連れていってくれたので、それが今の「越ちひろ」のベースになっていますね。また、四季折々に美しい配色を見せてくれる長野の自然の「色」や、子どもの頃から慈しんでもらった人たちの優しい気持ちの「色」など、長野で育ったからこそ培われてきた「越ちひろの色」があると思っています。
 成長するとともに、物を創ることにも興味が湧いてあれこれ作ったのですが、飽きることも多かった中で唯一続けられると思えたのは、やはり「絵」だけでした。絵は、一枚描くともう一枚描きたいと思えて。それで中学3年の時に描き続ける道を選び、美術大学への進学を決めたんです。
 東京造形大学での4年間は、朝から晩まで自分と向き合い、絵を描くことだけに集中できた貴重な時間でした。在学中に応募した「トーキョーワンダーウォール」という公募展でトーキョーワンダーウォール賞を受賞したことで、自分の中で「人生をかけて描き続けていく」という思いが確かなものになりました。

生きている今、生まれるアートを
暮らしの中に浸透させたい。

 2008年に拠点を長野に移したときに一番強く感じたのは、現代アートが根付いていない、ということでした。巨匠の芸術はもちろん素晴らしいですが、今、生きている作家が、今、その瞬間に生み出していくアートをもっと感じてほしい。日常の暮らしの中にアートが入っていくことで、人生に彩りが生まれると思うんです。
 ここ数年、さまざまな場所で壁画を描いていますが、描く際に意識しているのは「映画音楽を作るように描く」ということ。その映画に込められた思いを理解しながら、さらに膨らませてより美しい作品にしていくような、そんな壁画を描きたいと思っています。だからこそ、壁画を描く時は下書きをせずにダイレクトに描きます。こんな風に描こう、というイメージは先に固めておきますが、そこから先は、その時、その場所で初めて生み出されるものだと思うからです。長野駅のMIDORIがリニューアルオープンした際に描いた壁画も、そこを通り過ぎていく人たちの思い、その空間のもつエネルギーも含めて、その時、その瞬間、私が描けるすべての思いを込めました。イメージしていたものをその通りに描くだけでは絶対良い絵にならないんです。その場でそれを越えていくからこそ、アートとして多くの人に思いを寄せてもらえるのだと思います。
 長野に戻ってからは、壁画以外にイベントなどでのライブペインティングやアートワークショップにも積極的に取り組んでいます。その場でしか生み出せない臨場感を他者と共有できることが、私自身の可能性を広げてくれると感じています。
 私は、自分のスタイルを決めないことが「自分のスタイル」だと思っています。自分の描くスタイルにも、描く「場所」や「もの」にも縛られないように。だから全く違うスタイルにも挑戦していきたいし、いろいろな「場所」や「もの」に描いていきたい。今までもそう描いてきたし、これからもそうしていくつもりです。そして「越ちひろ」を受け入れてくれた長野の地を拠点として、ここから日本へ、世界へ向けて「越ちひろ」を発信していきたいと思います。

(2018年9月号掲載)