• 私が演じる役が
    誰かの心に
    寄り添うことができたなら
    女優として本望です。

母の影響で知った映画の世界に
思い切って飛び込んで。

 長野市で生まれ、中学校まで長野で育ちました。子供の頃は活発で、学校帰りに裾花川で友達と遊んだり、飯綱スキー場で大回転に挑戦したり。自然の中で思い切り体を動かす日々を過ごしていました。
 親の都合で高校から東京で暮らすようになったのですが、どこに行っても人が多くて。最初の頃は、「毎日がびんずるみたいだ」とよく思っていましたね。自分が方言を使っていることも東京で初めて知って。そんな日々の中で、母に誘われて映画を観に行くようになったんです。それも名画座のような小さな映画館だったり、浅草の3本立ての映画館だったり。映画と人との距離が近い世界でさまざまなジャンルの映画を観るうちに、いつしか「自分も演じてみたい」とあこがれを抱くようになりました。それからインターネットで見つけたオーディションを受け始めたんです。
 最初は美大や専門学校の自主製作映画に応募。初めて演技したのは専門学校の作品で、私はUFOを呼ぶ役でした。もちろん演技のことなどまったくわかりません。それでも緊張と不安の中、とにかく自分の精一杯の力で挑みました。この作品の台詞は今でも覚えています。この時に感じた達成感や感動が、次の作品へ挑戦するモチベーションにつながったと思います。

背水の陣で臨んだ作品を経て
もう一度、志を新たに。

 そうして一つひとつ作品を重ね、映画のほか、テレビドラマや舞台、ラジオ、CMなど、活動の幅を広げていきました。20歳で活動を始めて10年間、なんとか頑張ってこられたのは、その瞬間、その作品に全力で取り組んでいる姿を見ていてくれた人がいるから。ひとつの仕事から次のご縁をいただいて、今の自分が在るのだと思います。
 監督によく言われるのは、「集中した時の出力が大きい」ということ。私自身、感情のふり幅が大きくて、よく笑いよく怒りよく泣く人なんです。そういうところを感じてくださるのか、ちょっと日常から逸脱した役や感情が激しい役をいただくことが多いですね。
 ただキャリアを重ねるたびに、自分自身に対し「これでいいのか」と問い掛けることも多くなって。そんな時に「カメラを止めるな!」で一躍有名になった上田慎一郎監督のオーディションがあったんです。1500人以上の応募の中から選ばれるのはたったの15人。「この結果で自分の未来をもう一度見極めよう」と、背水の陣で臨みました。受かった時は、今まで自分がやってきたことはすべて無駄じゃなかったと、自分で自分を抱きしめてあげたいと思いました。
 昨年10月に公開された、「スペシャルアクターズ」という映画は、キャストを決めてから上田監督が当て書きで脚本を書かれているんです。全員が企画会議でアイディアを出し合うなど、勉強になることも多かったですね。上田組の一員として映画作りに参加できたことを誇りに思っています。
 今回、長野相生座・ロキシーで舞台挨拶をさせてもらったのも本当に嬉しかったです。私が女優を目指すきっかけとなった名画座と同じ匂いがして落ち着きますし、上映している映画はいつもどれもおもしろそうで、帰省のたびに訪れていました。こうしてご縁をいただくことで、また次に向かうエネルギーを蓄えることができたように思います。
今年の10月には片山慎三監督の「そこにいた男」で主演を演じさせていただきました。また念願だった朝ドラ「エール」にも出演することができました。これからも演じることに真摯に向き合い、また長野に舞台挨拶で戻ってこられるよう、日々を大切に頑張りたいと思います。
(長野相生座・ロキシーにて2020年10月24日インタビュー)

(2021年1月号掲載)