• 4代目店主 宮島 健さん(写真は卯月堂5代目)

明治5年の創業より150余年。
信州の素材を活かした銘菓を、
守り続けています。

ながの情報2号(1973年2月28日発行)に掲載された広告。第1回和菓子工芸展にて農林大臣賞を受賞した「紅葉狩」を、上品にデザインしています。当時店舗があった新田町は、長野銀座と呼ばれるほど、賑やかな中心街でした。

  明治5(1872)年4月。新田町(現在のもんぜんぷら座)に初代、宇三郎が創業した卯月堂は、以来150余年の歴史を重ね、今も信州の銘菓を作り続けています。
 戦後の激動の時代を経て、先代である3代目が考案したのが「紅葉狩」です。蜂蜜とくるみを用いた風味豊かな和菓子は、信州戸隠の鬼女紅葉伝説に因んで命名。当時は高度経済成長により、善光寺参りの団体観光客も増加しており、信州のお土産にふさわしい菓子として「紅葉狩」は人気となりました。
 さらに団体から個へと移り変わる観光客の変化に対応し、4代目である現店主が考案したのが「そばの華」です。香ばしく煎ったそばの実を散らした和風クッキーは、日本茶だけでなくコーヒーや紅茶にも合うお菓子として、観光のお客様や地域の皆さまに愛されています。
 卯月堂は、時代の変化に対応しながらも、けして奇をてらわず、自らが信じる信州にふさわしい銘菓を、誇りを持って作り続けています。商いの原点でもある、「当たり前のことを当たり前に行うこと」「いつの時代も変わらず在り続けること」を守りながら、これからも善光寺お膝元の和菓子屋として、歴史を紡いでまいります。

卯月堂の看板は、中村不折による書です。中村不折は、明治から昭和にかけて活躍した日本洋画家であり、書家。夏目漱石の『吾輩は猫である』の挿絵画家としても有名です。現在、店舗外に掲げている看板はレプリカで、本物は店内にてご覧いただけます。


(2023年7月号掲載)