平安の時代から
連綿と続くそばの文化。
戸隠とそばの歴史は、平安時代までさかのぼります。修験道の霊場として戸隠山を訪れた修験者たちは、五穀(米・麦・粟・稗・豆)断ちをしており、携帯を許されたのはそばの実だけでした。そばは唯一、生で食べることができる穀物で、修験者たちはそばの実をつぶし、水で溶いたものを食べていたとされています。そばは栄養バランスも良く吸収が早いので、修行には必須の食べ物でした。戸隠に多くの修験者が訪れるようになると需要も高まり、栽培が盛んになっていったと思われます。
やがて奥院が開かれ、宝光院、中院と続き、鎌倉時代の初期には、天台宗比叡山延暦寺の末寺、顕光寺に。江戸時代になると徳川家康より寺領千石を与えられ、幕府の庇護のもと顕光寺は栄えていきました。
宝永6(1709)年に記された「奥院燈明役勤方覚帳」に、「蕎麦切」の記述を確認することができます。推測するに、当初は寺の供物として、そばを麺状にする蕎麦切りの技術が江戸から伝わり、それがやがてハレの日の食事として、戸隠を訪れる参拝者をもてなす逸品となっていったのではないでしょうか。この「覚帳」は、そば博物館とんくるりんで実物を見ることができます。
その後、昭和39(1964)年にバードラインが開通し、多くの人が戸隠を訪れるようになるとそば屋が軒を連ねるようになり、戸隠そばの美味しさは全国に広まっていきました。今では、岩手のわんこそば、島根の出雲そばと並び、戸隠そばは日本三大そばとして親しまれています。