火之御子社には
かつて立派な杉並木があった。
江戸時代までの永きにわたって、火之御子社の神官を務めたのは栗田氏でした。その居館であった「城之内城」から、火之御子社まで北へまっすぐに延びる道を「立道」といい、この道が参道であったことがわかっています。地域では昔から「立道は特別な道だから何かを建ててはいけない」と伝えられているそうで、現在も立道の左右には畑が広がっています。
私たちが、この立道沿いに点在していた杉の切り株に着目し、調査を始めたのは平成29(2017)年のことです。2年かけて行われた調査には、長野吉田高等学校戸隠分校の生徒さんを中心に、「戸隠奥社の杜と杉並木を守る会」や、「戸隠を知る会」の有志も参画しました。
その結果、立道のうち熊野石塔付近から火之御子社までの道沿いに、かつて杉並木が存在していたことがわかりました。確認された杉の切り株は209本。奥社の参道沿いの杉が約220本であることから、奥社の杉並木に匹敵する規模の杉並木であったと推測されます。また、切り株の直径から、火之御子社の杉が奥社と同時期の江戸時代初期に整備されたものだということもわかりました。「戸隠村誌」(昭和37(1962)年)には、「奥院の参道や火之御子社の参道には、スギ並木を植えさせ、一山の威容を整えさせた」という一文があり、まさにその存在を証明するものでした。
では、なぜ火之御子社の杉並木はなくなってしまったのか。地域で聞き取りを行ったところ、第二次世界大戦中に国から木材供出指示が出た際に、奥社の杉並木を残す代わりとして伐採されたということがわかりました。伐採されたのは、昭和18(1943)年の春のこと。戦争が激化し、大切な杉並木を差し出さなければならなかった当時の人の思いが胸に迫ります。今はひっそりと切り株が残る立道の歴史に心を寄せながら、火之御子社への道を歩いてみてほしいと思います。
- 旬彩菓たむらを代表する菓子である「蕎麦朧」は、戸隠産の最上級そば粉、長野県産の上質な小麦粉、和三盆、カルピスバター等を用いた、たむらオリジナルの和菓子です。生地を仕込んで焼き上げるまで、一つひとつの工程を手作業で丁寧に仕上げるからこそ、ほろほろとした独特な食感と風味豊かな蕎麦の香りを感じていただけます。

蕎麦朧を味わう

- ほろほろと口どけがよく、そばの風味と和三盆のほどよい甘さが美味しいですね。戸隠産のそば粉を使っているとお聞きして、ますます好きになりました。お茶はもちろん、コーヒーと合わせても美味しいお菓子だと思います。